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「そこに人の寝ることのない広い畳は、夜明け前の冷気のなかに、はねつけるような
肌ざわりをしていた。燭台(しょくだい)の焔(ほのお)はゆらめいた。
私たちは三拝した。立って叩頭(こうとう)し、鉦(かね)の音と共に座って叩頭する。
それを三度くりかえすのである。
-三島由紀夫著・金閣寺」
晩秋である。
最近、百田尚樹の「永遠の0(ゼロ)」を読んだ。
娘に会うまでは死ねない。妻との約束を守るために。
そう言い続けた男は、なぜ自ら零(ゼロ)戦に乗り命を落としたのか。
終戦から60年目の夏、健太郎は死んだ祖父の生涯を調べていた。
天才だが臆病者。想像と違う人物像に戸惑いつつも、一つの謎が浮かんでくる。
記憶の断片が揃う時、明らかになる真実とは。
心を洗われるような感動的な出来事や素晴らしい人間と出逢いたいと、
常に心の底から望んでいても、現実の世界、日常生活の中ではめったに
出逢えるものではない。しかし、確実に出逢える場所がこの世にある。
その場所とは、本の世界、つまり読書の世界だ。
もっと場所を小さく限定すれば、小説(フィクション)の世界と言っていい。
宮部久蔵の人間として究極とも思える尊厳と愛を貫いた男の生き様に触れ、
しばし心の沈黙。そして、様々な問いかけが聞こえてくる・・・。
「その時、東の空に流れる星が見えた。星は一筋の短い線を引いて消えた。」
このストーリーは、この一節で終わる。
「まだ夜は明けない。空は星に充たされている。山門までのあいだの石だたみは、
星あかりにしらじらと伸びているが、巨木のクヌギや梅や松の影が、
いたるところにはびこって、影は影に融(と)けて地を占めている。穴のあいた
スウェターを着ている私の肱(ひじ)からは、暁(あかつき)の冷気がしみた。
-三島由紀夫著・金閣寺」
晩秋のことである。
文―トモアキ