教員ブログ
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「 電車は代々木を出た。春の朝は心地が好い。
  日がうらうらと照り渡って、空気はめずらしく、くっきりと透き徹っている。
  富士の美しく霞んだ下に大きい櫟林(くぬぎばやし)が黒く並んで、
  千駄ヶ谷の凹(くぼ)地に新築の家屋の参差(しんし)として
  連なっているのが走馬灯のように早く行き過ぎる。
                                   
                                     -田山花袋・少女病 」
 3月6日(金)は、卒業式である。
 旅立の春は、どこか切ない。
 
 作家・三島由紀夫は、ある小説でこう言っている。
「 造物主の悪意が、完全な精神と完全な青春の肉体とを同じ年齢に出会わせず、
  いつも青春の香(かぐ)わしい肉体には未熟な不出来な精神を宿らせると云って、
  慨(なげ)くに当たらない。青春とは、精神の対立概念なのだ。 」
 
 青春とは、「 未熟 」である。
 むしろ 「 未熟 」を自覚することで、自分の道が開けるのではないか。
「 虚(むな)しく往(い)きて実(み)ちて帰る ー 空海 」
自分はどうしようもない人間と分かっていれば、おかしな打算もない。
心をむなしくして無心でことに当たれば、真価がよく見えてくる。
 
 もうすぐ、さくらが咲く。
 「 咲 」という漢字には、「 わらう 」の意味がある。
笑顔の背後には当たり前のように涙もある。
卒業生には、そんな中でも自分の足跡を力強く刻んでもらいたい。
今朝、雑踏の一輪を見つめながら、春を想うのである。
文―トモアキ