ただ・・・
この瞬間に何を考えるのか。
朝の通勤電車。
車内を見渡す。
ほとんどの人が目を閉じ、振動に従い、
頭がななめに揺れている。
春の夢の中。慢性的な睡眠不足。
いや、目の前の現実からの逃避か。
それぞれの到着駅。
パッと目をさまし、階段をかけあがる。
一等賞を目指す徒競争者のように。
3月9日 金曜日 冷たい雨。
わが東京国際学園 第19回 卒業式が行われた。
卒業式というのは、「出逢い」と「別れ」を
同時に実感できる瞬間かもしれない。
もっと言えば、3月というのは、「別れ」の月である。
人は、「別れ」を知って、時の流れを感じ、
「せつなさ」「いとおしさ」を知るのかもしれない。
ただ、その前にあるのは、かけがえのない
「出逢い」なのである。
先日、夕闇に包まれた西新宿の雑踏を歩いた。
一人一人、行き先が違うのに、
大きな人波がおこっている。
渦巻きが発生している路上ライブ。
1か所、波も渦巻きもない場所。
首から紙看板を下げて、立ち尽くす女性。
そこに書かれている文字:「私の志集 300円」
思わず購入。表紙をめくると、
「詩は、志でなくてはならない」と。
生きている間に、どのくらい
「せつなくて、いとおしい出逢い」があるのだろうか。
最近、「山本有三」という人に出逢った。
彼はもうこの世にいない。彼の作品の中で出逢ったのだ。
彼の作品「真実一路」から、言の葉を2枚ひろう。
「うちあけなかったのは、ただ隠しているのではない。
うそを言っているのではない。そこには、事実を越えた大きな真実があるのだ。
事実を語ることは、だれにでもできる。が、真実で押し通すことは、
そうだれにでもできることじゃないよ。」
「なんにも知らない、と思っている父。いっさいのことを知ってしまった娘。
しかも、父の気持ちを察して、なんにも言わない娘。
ふたりはやがて同じ車上の人となった。ふたりを乗せた自動車は、
アスファルトの広い道の上を、彼らのうちのほうへ滑って行った。
空にはみずみずしく新月が淡くかかっていた。」
『ただ あいたくて・・・ ただ せつなくて・・・』
そんな今日この頃である。
文―トモアキ